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混乱の戦国時代から、260年も続く泰平の江戸時代へと奇跡の転換を実現した
日本が誇る偉人・徳川家康公の素晴しさを皆もっと称えるべき!
・・・と言う事で、ブログを開設しました
主に家康公語り、縁の地めぐり、イラストetc。

暁の空

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08
2018  07:00:00

明けましておめでとうございます。【東京都港区の芝東照宮で初詣&周辺散策・増上寺ほか】2018年1月

芝東照宮正月1   

明けましておめでとうございます!正月アイコン2 今年もよろしくお願いします。顔2笑顔 
早速ですが、初詣はどこに行きますか。上野東照宮ですか。芝東照宮ですか。

こちらこそ宜しくです。・・・えっと東照宮一択?!顔2ビックリ

芝東照宮と言えば、隣の増上寺の方が初詣っぽくていいんじゃない?徳川将軍家の菩提寺だし。

フム。芝東照宮がご希望ですか 星キラ まず家康様にご挨拶せねばネ。

まあ・・・・。

という、民主的な議論のもと平成30年1月1日、ミカ&タケオは朝も早よから芝東照宮に初詣に向いました。
芝東照宮(旧 安国殿)で初詣。
御祭神:徳川家康公 御神体:徳川家康寿像

場所:東京都港区芝公園4-8-10 
交通: 電車-赤 都営地下鉄三田線 【御成門】駅下車 A1出口より徒歩2分 
御成門
貴人を迎える門を指す。徳川将軍家が増上寺に参詣する折に通った御成門が、駅名の由来です。
▼下図:大日本東京芝三隊山増上寺内全園より一部(増上寺で徳川将軍家霊廟に行くと貰えます。赤字は入っていません)
地図 

現在の芝東照宮は家康様の戒名である「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」の院号に由来して、増上寺安国殿(あんこくでん)と呼ばれていましたが、明治の神仏分離令によって増上寺から切り離され、東照宮となりました。

 いざ、初詣!角松アイコンキラ黄色 

芝東照宮境内

芝東照宮本殿大正8年旧芝東照宮(安国殿)は家康公の遺言により元和3年2月に創建されました。
その後、寛永10年三代将軍家光により模様替えが行われ、同18年には移転、新改築をし権現造りの荘厳な社殿が整いました。
大正時代には国宝建造物に指定されましたが、昭和20年の東京大空襲炎 によって家康公御神体の寿像と、三代将軍家光公の植えた銀杏の樹を残して社殿は灰燼に帰したのでした。

現在の社殿は町内氏子や崇敬者の皆さんが昭和36年から復興をめざし、昭和44年に落成されたのだそうです。手拍手 愛されてる!

私も復興当時に生まれてたら寄付したのになぁ。
あ、そろそろ江戸城復興どうなんでしょうか?それも最近発見された「江戸はじめ図」に描かれてる家康様作った最強連立式天守がいいですけど。顔ハート 

家光の銀杏 そんなわけで、戦火にも負けず残った「三代家光公お手植 公孫樹」寛永8年(1641)はだいぶアピールの旗が立っております。

高さ21.5m 幹囲約6.5m 根元の周囲が8.3m以上ある大木で(平成5年調べ)かなりの迫力です。大きすぎて幹のトコしか写ってなかった!顔2汗 

ところで、徳川さんチの三代将軍・家光君は嫡男でありながら、両親が利発な弟の国松を可愛がり、家臣や諸大名までもがそれに習い始めたために、危うく徳川家の後継者から脱落しそうになり自殺未遂までしてしまった悩める少年でした。
その事態を竹千代(後の家光)の乳母・春日局から聞いた駿府のパワフルお爺ちゃん家康様は慶長16年(1611)10月に江戸城を訪れ、秀忠夫妻の二人の息子に対する扱いを自分の目で確かめると、皆を前にわざと竹千代を厚く遇して長幼の序を示して見せました。
また、この事はよほど気掛かりだったようで、新年を迎えると更に手紙で将軍家の親として人の上に立つ子供をどう育てなければいけないか、自分自身の失敗・後悔も盛り込んで、更には武田信玄、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉まで引き合いに出し、懇切丁寧に説き示したものを書き送り、秀忠夫妻を諭したことで、後に家光は無事お家を継ぐ事となりました。花
そもそも戦国時代の幕開けを促した応仁の乱も、各家でお家騒動が勃発しまくって収拾がつかなくなってしまった為なので、そこは日の本の平和を願う家康様のこと何としても手を打ちました。サスガ権現様ぬかりない! 顔口笛
 家光とじっちゃん 
で、その家光君の父上である二代将軍の秀忠さんは、姉さん女房お江の尻に敷かれていたのか、本当に大好きだったのかで、側室も持たない恐妻家でした。(隠し子はいましたが)
そんな、この平和な世に多大な尽力をしてくれた徳川家の苦悩か、喜劇か、スッタモンダな家族関係と・・・。
この、殆ど焼けてしまった芝東照宮と増上寺の中で、家康様の御神体と家光のイチョウの樹が無事に残り、また霊廟が全焼してしまった秀忠さんは妻お江の霊廟に間借りする形になって、二人一緒に入ってるっていう状態が、何だか生前も死後も構図が変わってない気がして、ちょっと可笑しくなっちゃいました。
お爺ちゃんパワーで守護された家光イチョウと、お江に頭が上がらないけど何だかんだ仲良しな秀忠的な。顔2笑顔ふきだしアハハ(あ、また。埒もない妄想をしてしまいました。

そんなわけで、現在建っているのは昭和44年に再建された芝東照宮ですが、可愛らしくも威厳があって私は好きです♥ パワー満点家康様の御神体もあるしね。
芝東照宮本殿
家康公寿像
さてさて初詣です。「家康様、本年もどうぞよろしくお願い致しますはーと桃と、お参りをしまして、ふと横を見ると丁度よくお賽銭箱の隣におみくじが設置されていました。ので、まんまと引いてしまいました。
結果「小吉」しかも努力が足りてない!とのお告げが書いてあります。
心当たりが・・ねこZzz。
東照大権現様には、全て丸っと御見通しなのですね。呆顔吹き出し汗2 新年から大いに反省させられることになりました。ガンバロ。(なにかしら・・・。)
隣でタケオは大吉引いてました。ぐぬぬ。顔スンスン

そして小吉のおみくじを結んだあと、芝東照宮の小さな境内を散策していると、
竹で蓋をされた井戸を発見しました。・・しかし謂われを書いてあったらしき立札は擦れて判読不能。なんかコワイ・・・と私が不審気な顔をしていると。
タケオ君がやってきて曰く、件の空襲時に家康様の御神体をここに隠して焼失の難を逃れたという有り難ーい井戸なのだそうです。  おおおっ。そうだったんだ!有り難や 手拍手 
あらためて芝東照宮の御神体について

慶長6年(1601)正月に60歳になった家康公は等身大の寿像を作らせ駿府城に置いた。

元和2年(1616)4月17日「先年の像を増上寺に安置すること。本社の作りは六十六畳敷きにし、その中央に居て、末永く国家を守護なさん」との言葉を遺言の一つとして残し、同日御他界した。そのため現地に社殿が創建され寿像が御神体安置された。


家康様ぁ!どんだけ国を守る気なんですか!どんな気合ですか!もう死んじゃうのに。顔2泣き 偉大すぎて涙で前が見えない。
生まれてから亡くなる間際まで、こんなに戦って、こんなに国を思って、それを成し遂げた人が果たして他にいますか。尊ーい!ぴよウルウル
皆様、増上寺に行った際はぜひ芝東照宮にもお参りしてくださいマシ。隣だからー。



さて、第一の目的芝東照宮で新年から家康様にご挨拶しよう!を達しましたので

ここからは周辺をプラプラと歩いてみました。パンダ進む

ルートは下の地図のように[古墳→仁王像→増上寺]です。

ぴよ写真 こちらの散策を写真などでつらつらと、ご紹介します。
 
古墳芝丸山古墳があるよ。
芝東照宮の石段を下りた所に脇道がありまして、梅林を抜けると芝丸山古墳の入り口があったので、ちょっと寄り道してみました。

東京都指定史跡・芝丸山古墳の概要

全長106m前後/後円部の径約64m/前方部前端幅約40m/くびれ部幅約22mほどの都内最大級の規模を持つ前方後円墳。

標高約16mの台地端に位置し、前方部分を南南西に向けている。

前方部が狭く低い形態や、占地状態から5世紀代の築造とみられており、南武蔵有数の族長の墓だったと考えられる。

(現地看板/東京教育委員会作成 より抜粋)


正直、ワタクシ古墳にロマンを感じるスキルをまだ身についていないので、それについて深く考えた事がなかったのですが、せっかく行ってきたので感じを掴むために全体図を起こそうと各部のサイズを確認していた時に、アレ?と思ったことが、
まさかっ・・・前方後円墳て丸の方が後ろだったのかっ!・・生まれて初めてこの事実に気が付きました。顔2汗 わーん。
考えてみれば、後「円」墳でしたね。
とすると、もしや前方というのは「前の方ふきだしアハハ 」ではなくて前の「方=四角」という意味なのですね?
これ勘違いしていたのって私だけ?
古墳ストーンサークルいやぁ、思い込みってオソロシイですね。スライムアイコン 

ところで初めてのワクワク古墳探索としては、円墳の上に謎のストーンサークルがあった以外はこれと言って普通の小山に見えちゃうミカでした。「ブラタモリ」見て地形勉強しよ・・・。
旅する仁王像もあったよ。
旧台徳院霊廟惣門 芝東照宮の鳥居を出て増上寺方面に少し歩くと見えてきた惣門には2体の仁王像が安置されています。
こちら、かなり転々と旅をされてきたようで、
18世紀頃の江戸時代に制作され「埼玉県北立郡戸塚村の西福寺」→「東京浅草」→「経緯不明で昭和33年頃、現在の旧台徳院霊廟惣門」へ安置されるという流転を繰り返した仁王様なのでした。お疲れ様です!顔頬染めキラキラ3

小花ピンク 惣門は戦火から焼け残った二代将軍秀忠公の台徳院霊廟惣門になります。現在は門を抜けると、プリンスパークタワー東京に繋がっております。顔は?
門には葵の御紋が沢山付いているのが良いですね。軒丸瓦→軒丸瓦葵紋も葵紋です
仁王像
(仁王像の高さ:阿形2.435m/吽形2.47m 港区指定有形文化財)


浄土宗大本山・三縁山広度院増上寺
増上寺は明徳4年(1393)に江戸貝塚に創建され、慶長3年(1598)には家康様が現在地に大伽藍を造営して移転。
徳川将軍家の菩提寺として隆盛を誇り、江戸時代には浅草か芝かという繁華街の地になりました。
増上寺-今昔  
▲平成30年元旦に撮影した写真と、江戸時代の絵師 歌川広重先生の「東都名所」より増上寺の三解脱門です。
おぉ。なんだか変わってない感じがする。手拍手 建物はモチロン、人が往来する空気感とか階段の数とか。
増上寺の三解脱門(さんげだつもん)

江戸初期に造られた増上寺の中でも火災や戦火を経て、唯一当時の面影を残す建造物になります。また都内最古の建築物であり東日本最大級の大きさを誇ります。

三解脱門をくぐると三種の煩悩「むさぼり・いかり・おろかさ」から抜け出せるのだとか。


うむ。参拝は清らかな気持ちでしなさいという事でしょうか。と、ちょっと神妙な気持ちになりながら三解脱門をくぐると・・・。OH!
屋台

朝ごはん食べずに来たので早速屋台でむさぼるミカ&タケオ。お猿の大道芸も来てたよ。
ああ、いきなり俗物的な楽しみを満喫してしまった 顔2汗 罠か!これは罠なのか!
イヤ。でも江戸時代から芝は賑やかだったし、大人も子供も皆楽しそう。そう!これこそ 家康様の願った平和な日ノ本鏡餅アイコンの姿のはず!
空いてる場所をみつければ、すぐに屋台で商売始めちゃうのが江戸っ子だもの。(江戸時代は境内ではやってないだろうけど 汗あらためて、
ありがとう家康様ー!吹き出し顔泣きドキドキハート 

さて今回のメインは芝東照宮なので、増上寺も沢山みどころが取りあえずザックリご紹介します。
まるぽち 増上寺のあれこれ まるぽち 

増上寺イロイロ


水盤舎:家光公の霊廟にあったものを現在地に移転。徳川将軍家霊廟建築を伝え貴重な遺構の一つ。
鐘楼堂:永禄10(1633)年に建立されたが焼失し、戦後に再建された。収められている大梵鐘は、延宝(1673)に鋳造されたもの。高さ約3m、重さ15トンの大鐘。小花赤 江戸時代の柳川「西国の 果てまで響く 芝の鐘」
大 殿:戦火で焼失した本堂を昭和49年に再建。本堂には室町期作の阿弥陀如来が祀られている。
安国殿:徳川家康が成し遂げた「天下泰平の世」を願い、平成22年(2011)安国殿を建立。堂内には秘仏黒本尊が祀られている。
徳川将軍家霊廟:かつては大殿の南北に徳川将軍家の壮麗な霊廟が立ち並んでいたが昭和20年の空襲で大半が焼失し、昭和33年に詳細な学術調査を行ったのちに墓所を1か所にあつめ現在の地に改葬された。
  • 徳川家歴代将軍の墓所
  • 日光(東照宮)初代家康(東照宮・輪王寺)3代家光 
  • 芝(増上寺)2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家重
  • 上野(寛永寺)4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定
  • 谷中霊園 15代慶喜
歴代将軍の墓所は増上寺と寛永寺で折半しているのですね。
しかし話はそれますが、お爺ちゃん大好き家光君は葬儀は寛永寺でやるけど、遺骸はどうしてもお爺様のいる日光に埋葬してほしい、でも造営する廟所は決してお爺ちゃんの東照宮を超える豪華な建物を作ってはダメ!と遺言したそうです。顔2笑顔 
なんか家光に親・近・感

8年前に造営された増上寺の安国殿には家康様の念持仏である「黒本尊阿弥陀如来」が祀られています。この時は正月初祈願で黒本尊御祈願の幟が立っていました。南無阿弥陀仏のお経が休むことなく聞こえています。

黒本尊について

勝運御守り

942年~1017年ころの恵心僧都(えんしんそうず)作と伝わる阿弥陀如来で、高さ2尺6寸の立像。


家康公は出陣の際に護持仏である黒本尊に戦勝を祈願し傍らに安置して戦場に挑み、幾多の危難を免れ勝利を得ることができたと言われます。

黒本尊

時を経て香煙にいぶされ金泥が黒色へと変化した像を家康公は「黒本尊」と名付け、増上寺に安置して徳川家歴代将軍の勝運「守り本尊」として信仰するように命じました。


ちなみに桶狭間の後、大樹寺に身を寄せた家康公が登譽上人に頼んで貰い受けた阿弥陀如来が先にあり、そちらは白本尊と名付けて黒本尊と一緒に崇敬していたそうです。
現在白本尊は静岡で、二代将軍秀忠の母である西郷の局の菩提寺・宝台院に祀られています。


折角なので、黒本尊にあやかった葵紋と「勝運」の文字が入ったお守りを購入しました。(500円)黒い御守り袋はあまり見ないですけど、なんだか強そうです!顔2笑顔
といって今の所、特に勝負所は思い浮かびませんが、芝東照宮で家康様にもっと努力しろとお告げを貰ったことですし、今年は1.5ターボぐらいで何かと頑張っていこうかと思います。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

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