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混乱の戦国時代から、260年も続く泰平の江戸時代へと奇跡の転換を実現した
日本が誇る偉人・徳川家康公の素晴しさを皆もっと称えるべき!
・・・と言う事で、ブログを開設しました
主に家康公語り、縁の地めぐり、イラストetc。

暁の空

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30
2018  00:00:00

GW彦根&関ヶ原の旅・彦根編

去年からずっと家康様生誕の地岡崎旅行の記事ばっかり書いている当ブログのミカですが
GWに入り「そうだ!関ヶ原にいこう」と思い立ち、行ってまいりましたので、このへんで彦根&関ヶ原旅行の感想を、長くならないようにサクッと挟んでおこうと思いますっ。メモ2
・・・関ヶ原の事は言いたい事山ほどありますが、岡崎の家康様青春の旅話が終わっていないので、今回は控えめにやるつもりです。顔頬染め

スマホところで実は、この旅行を決行する少し前にミカ&タケオのスマホ代がやけに高いという話をしていました。料金明細複雑すぎて全然わからないよぅ!! ぷんぷん顔 と思いつつも、よくよく調べていたら・・・なんと
ショップで新プランに変更したとき解約したはずのwi-fiルーター料金が何故かそのまま2年間月額料金に加算され二重取りされてたーッ!顔は?吹き出し怒
と、気が付いてしまったので窓口で相談しましたら誤って引落されていた金額を返済してくれると言うので、よぅっし旅行しよ吹き出し音符キラキラ3となった次第です。
いやぁ、気が付いてヨカッタヨカッタ。
(皆さんも何か妙~にスマホ代が高いと思ったら一度契約内容の確認をおすすめしまーす。気が付かないでいるとドンドンじゃんじゃん自動的に引かれます!コワイ 吹き出し顔泣き

そんなこんなで旅行が決定し、さっそく関ヶ原の宿を検索したのですが… 検索虫眼鏡アイコン ヒット件数0。
おぅ。ホテル一軒もない。大丈夫かな関ヶ原。・・・となると近隣ならば候補は2つ。

僕のデータによるとですね。

【大垣駅】
■交通(関ヶ原まで電車1本・所要13分・運賃240円)
関ヶ原の戦い前に石田三成ら西軍が本陣として使用した大垣城の復興天守アリ。
【彦根駅】
■交通(関ヶ原まで電車2本・所要34分・運賃500円)
関ヶ原の戦いでは徳川家の為に最も多大な貢献をしたと言っても過言ではない井伊直政公。の、子孫が継いだ彦根城・国宝現存天守アリ。ゆるキャラひこにゃんアリ。石田三成居城の佐和山城跡アリ。琵琶湖も近い。
関ヶ原関連の史跡と駅の情報はこんな感じかな。

なるほど。なるほど。では。やはり私たち東軍キラ黄色ですから!

チョット遠くなるけど、ひこにゃん白猫アイコン方面で!日本に5城しかない国宝の現存天守も見たいしね


いざ!彦根へ。女の子走る
【5月2日・目的地】滋賀県彦根市ー彦根駅下車
 下総の自宅最寄駅 発
 矢印 電車-赤 東京メトロ地下鉄25分
 東京駅 7:33発
 矢印 電車-赤 東海道新幹線・ひかり
2時間11分
 米原駅 9:44着 9:50発
 矢印 電車-赤 東海道山陽本線
4分
 彦根駅 9:54着

5月2日彦根の天気予報:くもり のち 雨
当日の彦根は午後3時頃から雨が降り始めるとの予報をキャッチしたので雨具の用意を整え、雨が降る前に彦根城の外側を見終わろうと、張り切って9:54分に彦根駅到着しました。吹き出しキラキラ

彦根駅

手3改札を出ると「ひこにゃん 白猫アイコンの看板がお出迎え。(かーわーいいー♥)
その横には彦根藩二代藩主井伊直孝の長男直滋が幼少の頃に着用したものをモデルにした甲冑が展示されています。
こちらの甲冑は、毎年11月3日(祝)に開催される 「彦根の城まつりパレード」 で市内の小学生が着用して参加しするのだとか。かぶとキラキラ4
こういうお城の鎧行列祭がある地域うらやましいなぁ。まだ見た事ないけど。いつか行くぞー!
彦根西口駅前の様子
西口の駅前ロータリーには、馬上の井伊直政像があります。いいですねぇ。雰囲気でてきました。
直政公像 

北条早雲 ところで有名な武将ゆかりの地に行くと、よくこのように立派な銅像が駅前にドドーンとありますよね。
今年の1月に日帰りでチョット行ってきた小田原にも、凄い迫力の北条早雲像がありました。
なんでも、牛の角に松明を付けて大軍の夜襲に見せかける作戦で小田原を奪取したと北条記に書かれている「火牛の計アイコン炎をモチーフとした、馬上の北条早雲の前に牛が3匹も連なる凝ったデザインなのです。
しかも5.7m重さ7tの日本最大級の銅像なんだとか!やじるし2  
まあ、北条早雲先生は下剋上の先駆け、戦国時代の幕を開けた人物ですからね。しかし、
・・・そういうのを見ると、羨ましいとともに、どうしても言いたくなること。

おーい!東京都!東京駅のど真ん中に家康様のドデカ銅像造ってよーーーぅ!!

家康様駿府小 関東を開拓し、東京ひいては日本文化と誇れるものの殆どを生みだしたと言いっても過言ではない。戦国に終止符を打ち、あの江戸を造った前代未聞の偉業ですよっ。
なのに・・・なのにっ、家康様の銅像が東京に何体あるかというと・・・墨田区にある「江戸東京博物館」の片すみに一体あるだけなんてっ。顔怒り2吹き出し怒
これは由々しき事態です。東京都は早急に6m以上の家康様像を作ってくださーい。怒りぴよ
新しくなった丸の内駅前広場に丁度いいスペースがあるじゃないですか。
手あっち オススメモデルは静岡県の駿府城公園にある家康様の銅像です♥ 徳川家菩提寺の、増上寺にペルリ提督の像とか上野公園に西郷ドン像とか置いてる場合じゃないカラ。嫌がらせかー。

…はっ。今回はひこにゃんと関ヶ原の事だった。イカンイカン。 顔頬染め汗 

やじるし4 駅前には、井伊家の彦根入府400年を記念して平成13年に建立した神代~現代までの彦根の歴史が書かれた亀に乗る彦根縁起の碑もあります。
▼碑には以下のような説明が記されています。
彦根地方の伝承

彦根亀2 古事記の冒頭には、太陽を神とする天照大御神(伊勢神宮)が国生みの神・伊邪那岐命、伊邪那美命の御子として生まれたと記されており、
また天照大御神の御子である天津日子根命(アマツヒコネノミコト)活津日子根命(イクツヒコネノミコト)の兄弟神が悠久の昔に、この彦根の地に鎮座して国造りしたとするのがこの地方に伝承される神話。
神アイコン
不比等
奈 良 時 代

日本最古の法典「大宝律令」を完成させた藤原不比等とその子藤原房前が永年彦根の地を納め、平城京にも劣らぬ地方都市が造営された。
平安時代中期

末法思想の広がり共に全国各地に観音思想が生まれ、現在彦根城のある彦根山(彦根寺)には、金の亀 mario_pata2.gif に乗った一寸八分(約6cm)の観音様がおられた事から別名を金亀山とも呼び、後に築城された彦根城は金亀城とも呼ばれております。 また、霊験あらたかな観音霊場として、彦根山参詣ブームを巻き起こし京都方面からの参詣道では巡礼海道と呼ばれ、現在も通称として残り往時を偲ばせる。
江 戸 時 代

藤原鎌足の子孫である井伊家が彦根に入府する。
赤鬼直政 ■初代彦根藩主となった井伊直政公は現在の静岡県引佐町井伊谷にて誕生し、15歳で徳川家康公に見出され、武田勝頼との戦いで初陣し以後関ヶ原の戦いなど数々の大功を立て慶長6年(1601)18万石を賜り佐和山城主となるも、関ヶ原の戦いで島津軍から受けた鉄砲傷が元で41歳の若さで亡くなった。
彦根城と城下町は直政の嫡男で初代藩主直継から二代藩主直孝にかけて20年の歳月を経て完成。 また大阪冬の陣・夏の陣では直継公の大功により35万石となり、これより以降近江の国の政治・経済・文化の中心地として長く栄える事になった。
現  代

東京世田谷の豪徳寺が井伊家の菩提寺となったのも直孝公の時からで、彦根の地は誰れ言うともなく「一に大老・二に佐和山殿」として、井伊直弼公石田三成公を、彦根が輩出した偉人として市民の敬慕となり象徴となっている。
井伊家が彦根の町を開き、平成13年(2001)が丁度四百年の年となり、彦根開府四百年記念事業の一つとして、彦根市民有志の手により、本石碑が建立された。 
彦根駅からお城まで徒歩10分。GOGO! スピードアイコン ミニマリオ
彦根城までの順路は西口から「お城通り」を真っ直ぐ進み「滋賀縣 護國神社」が正面に見えて来たら左に曲がって、突き当りを真っ直ぐ行くと、もうお城に続く道です。
ミカ&タケオの彦根城散歩コースはコチラ はーと小さい
彦根城マップ

【1】いろは松(300年前からの松並木!)/【2】井伊大老(直弼)歌碑/【3】二の丸佐和口多聞櫓【4】 馬屋【5】鐘の丸(今は休憩処があるよ)/【6】天秤櫓/【7】彦根城本丸(国宝現存天守!)/【8】三重櫓・続櫓/【9】玄宮園/【10】彦根城博物館

■いろは松(景観重要文化樹木)
お城へは、いろは松 松 の道を通ります。
こちらは二代当主・直孝の時代に植えられ「イロハニホヘト・・・えんぴつ」の文字数と同じ47本が植えられていた事からその名前がついたのだとか。
現在は植え替えられたものも含めて33本の松が整然と並び、お城の入口へといざないます。

■井伊大老歌碑
途中には井伊直弼大老が安政7年(1960)の正月に書いた歌碑がひっそりとありました。
「あふみ海 磯うつ浪の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな」
(意味:琵琶湖の波が磯に打ち寄せるように、世の為に幾度となく心を砕いてきたと幕府大老として国政に力を尽くしてきた心境を現している。)
そしてこの歌を詠んだ2か月後の3月3日に江戸城桜田門外で水戸浪士17人と薩摩藩士1人に襲い掛かられ凶刃に倒れたのだった。
うぉー!直弼さんっ!井伊家が彦根で踏ん張ってくれないと倒幕されちゃうよぅっ~。がくぶる顔文字 

・・・などと思いを馳せつつ、重要文化財の二の丸佐和口多聞櫓キラ黄色に辿りつく。

二の丸佐和口多聞櫓


■二の丸佐和口多聞櫓 (重要文化財)
佐和口は「いろは松」に添った途上道の正面に位置しています。
明和4年(1767)に火災で類焼したため、現在の建物は明和6年から8年に再建されたものだそうです。それでも江戸時代の建築!吹き出しキラキラ 櫓の大きさにワクワクです。
かつては中堀に接して更に高麗門があり、その内側を鈎の手にまげて櫓門が築かれ、枡形の重厚な門構えとなっていたそうです。
彦根は西方への備えの重要拠点ですからね。徳川四天王の一人井伊直政の子孫がしっかり守って行かねばなりませぬ。手グー吹き出しビックリ ・・・しかしご存知のとおり直弼さんが桜田門外の変でね・・。顔2泣き ちきしょー。

■馬屋 (重要文化財)
馬屋 二の丸から少し行くと木造の長い建物があります。
ん?あれは何だ?江戸城で言うところの百人番所かな?などと言いつつ近寄ると馬屋でした。
当時は藩主などの馬21頭がつながれていたそうで、城内に残る馬屋は全国でも彦根城だけキラ黄色 なのです。

確かに、一頭、二頭が入れる神厩舎は日光東照宮などで各地で見かけますが、こんなに沢山収容できる施設は初めてみました。まさにお馬さんの駐車場って感じです。 馬顔アイコン 馬顔アイコン 馬顔アイコン 吹き出し音符 
また、古図には「コシカケ」と表記があり、門番の辺りの下級武士たちが溜まり場にしていたそうです。江戸時代ユルイな~。顔にっこりハート3連
 
・建立年代:元禄時代(1688~1704)の末と考えられる。
・明和4年(1767)に馬屋の一部が焼け再建。
・明治年間には門から南側の建物がこわされ、残った部分も馬つなぎの構えが殆どなくなったが、昭和41年~43年にかけて解体修理を行い21頭の馬をつなぐ構えにもどされた。
ひこにゃん(ゆるキャラグランプリ2010年・初代チャンプ! 白猫アイコン 王冠アイコン
さらに本丸を目指し歩いていくと、表御門跡の橋の前で「本日のひこにゃん出陣スケジュール」の看板が目に留まる。そんなのあったんだ!例によって下調べはあまりしていない。ちょうどAM10:30から彦根城博物館前の冠木門に出陣するとのこと。あと3分!顔2ビックリ さっそく現場にダッシュするミカだった。

突入!ひこにゃん撮影会

ひこにゃん撮影会にて


ひこにゃんと握手とか出来るのかな?と思ったのだけど、殿は一段高い所からの登場でした。顔2笑顔
おさわりナシでも庶民は殿の登場に大興奮で撮影しまくり。カメラ2 

勿論、ワタクシも参戦してメチャクチャ撮りました。やじるし3 
撮影しやすいようにか、殿の動きがもの凄ーく、スローなのがシュールなのですが、フォトジェニックな可愛いポーズを次々繰り出すひこにゃんに皆夢中!写真が苦手なミカでもこんなに可愛く取れちゃうのだはーと小赤
ひこにゃん恐ろしいコ。
ところで彦根城のゆるキャラがなぜ猫なのかというと井伊家の逸話に由来します。
招福猫児ものがたり
―― むかしむかし。
江戸時代のはじめごろ、寛永10年(1633)に江戸屋敷まかない料として世田谷領を拝領した彦根藩の2代当主・井伊直孝が、緑濃い夏の日に世田谷村へ鷹狩りに出かけた時の事であった。
  
鷹狩りの帰りに弘徳庵という破れ寺の前を通りかかると、その門前で猫が片手を上げてしきりと手招きをしている。直孝は門をくぐり、寺の和尚に「ここを通りかかった所、猫に呼ばれたので少し休憩をさせてくれないか」と言葉をかけた。
そうして奥の間に招き入れられると、たちまちのうちに空には雲が広がり激しい雷雨となった。
猫に呼ばれて雷難を逃れ、雨がやむまで説法をゆっくりと聞いた直孝は高徳な和尚の言葉に心打たれ、以後もしばしば寺を訪れるようになった。 
らっきーにゃんこ
それから、万治2年(1659)に直孝が亡くなると亡き骸は親しんでいた弘徳庵に葬られ、直孝の法名「久昌院殿豪徳天英大居士」にちなんで寺を豪徳寺に改め、井伊家の菩提寺になった。
寺には田畑の寄進や伽藍が整えられ、和尚はこれも猫のおかげと猫の墓を作り冥福を祈った。すると人々もそれに習い猫の像を作って「招福猫児(まねぎねこ)」として豪徳寺に供えるようになったのだった。
時は流れて300余年を経た今日もその風習は受け継がれている。
(編纂mika)
・・・と、いうような井伊家の逸話がありまして、それがひこにゃんのモチーフなのですね。豪徳寺には今も山盛りの招き猫が供えられているんですってね!うぉー。猫好きとしては黙っちゃいられない!今度行こうっと。

さて、さてもう一つ猫つながりで、その井伊家も道端で出会った猫がいつからそこら辺の道をポテポテ歩いているのか言うと、猫 我等が家康様が関係していたようです。顔2笑顔 星キラ 

時は関ヶ原の翌年、家康様が征夷大将軍になる1年前のこと・・・、

慶長7年(1602)8月中旬、京の一条辻に高札が立てられ猫の綱を解き放つよう沙汰あり。
一、洛中猫の綱を解いて放し飼いにすべきこと
一、同猫売買停止のこと
  これに反する者は必ず罪に処す

猫の草紙1

「猫のそうし」国立国会図書館より

猫解放令と言われるそれは、江戸時代に刊行された御伽文庫の中のひとつ「猫のそうし」でふれられているお話ですが、
その元になる文献として、西洞院時慶(にしのとういんときよし)という公家の日記「時慶記」に慶長7年10月4日の日付で「猫をつながぬようにというお触れが2、3カ月前に出たが、猫が迷子になったり犬に噛まれる事が多いと聞く 顔青ざめと、書かれており 吹き出し汗2 実話を元にした話なのだそうです。

歌川国芳猫草紙

「朧月 猫草紙.国芳」国立国会図書館より

え?犬将軍綱吉さんじゃなくて家康様が?と一瞬思ってしまいますが、
これにはちゃんと理由がありまして、猫は大変高価なペットとして一部の裕福な者だけが飼っており、むやみに外に出ないよう紐に綱につないて飼うことが一般的でした、しかし当時京では鼠の害が深刻化ていたため、猫に鼠退治をさせるという本来の役目を与えるため猫解放令を出したようです。(もちろん綱吉さんの生類憐みの令だって命の尊さを学ばせると言う大事な理由があったのですが。徳川将軍ガンバ!)
ともかく、こうして江戸時代に猫は益獣、魔を祓う縁起物として庶民に広く愛されるようになり、有名絵師によるユーモアいっぱいの猫の絵が数々登場します。アイコン足跡

そんな事があって、後に井伊の直孝さんが世田谷村の弘徳庵でノラの猫さんに会えたと考えると、猫界の歴史も興味深いものです ハート2白猫2
あ、ノラから運命的な出会いをはたして我が家の家猫になった愛猫・ロン千代にも繋がっているのかも!茶猫うごく吹き出し音符

・・・サクッとまとめようと思った彦根城エピソードですが、猫話が長くなったので本日はこの辺で。顔2笑顔吹き出し汗
最後に我が家のニャンコ。ロン千代をこの機会にご紹介します。顔ハートドゾ!やじるし4

我が家のアイドル・ロン千代です。以後お見知りおきを。手グーキラキラ5


ロン千代にゃ
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 彦根城 ひこにゃん 国宝 現存天守 井伊直政 井伊直弼

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